弘兼憲史×池上彰「オトナの人生相談」(2)「第2の人生」への踏み出し方 (1/2ページ)

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弘兼憲史×池上彰「オトナの人生相談」(2)「第2の人生」への踏み出し方
弘兼憲史×池上彰「オトナの人生相談」(2)「第2の人生」への踏み出し方

─お二人はそれぞれ松下電器産業(現・パナソニック)、NHKの局員でしたが、脱サラをして漫画家、ジャーナリストとして活躍されています。「第2の人生」というのは、読者にとっても非常に悩ましい大きな選択のひとつだと思うのですが、お二人の転職のきっかけを教えていただけますか。

弘兼 池上さんがNHKを退社されたのは何歳の時なんですか。

池上 54歳です。NHKの場合、一般の管理職は60歳で定年ですが、私は役職だったため、定年が57歳。次は取締役で子会社へ、という流れだったと思います。当時、すでに早期退職制度が始まっていて、定年の3年前から早期退職が認められていた。これを利用しない手はないと思ったんです。

弘兼 第2の人生を始めようと思ったら、早ければ早いほどいいと。決心する時は悩みましたか。

池上 全然、悩まなかったですね。

弘兼 すでに他局から声がかかっていたからですか?

池上 まったく。一切ありません。ただ、私は記者なので、自分で取材に行って原稿を書きたい。そんな思いが募っていた頃、出版社から「ニュースの解説を本にしませんか」というお話をいただき、本を書いたら、そこそこ売れたんです。53歳で辞めようとしたら、「週刊こどもニュース」のスタッフから「もう1年残ってくれ」と言われまして。でも、辞めたくて仕方がないので、この1年間が本当にストレスでした。3月31日の夜、「辞表を認める」という辞令をもらって、NHKの西口の道路を渡ったとたん、「ああ、全てから解放された」と、本当にうれしかったことを覚えています。

弘兼 私は入社3年目の25歳の時に辞めました。ある時、俺は漫画家になりたかったんじゃないか、とハタと気づいたんです。そんな時、たまたま、ニューヨークに転勤の話があったものですから、上司への返事に「漫画家になるので辞めさせてください!」と言って退職。特に誰にも止められませんでした。

池上 せっかくのいい話じゃないですか。ニューヨークから戻ってきてからでも、とは思わなかったんですか。当時、海外赴任に選ばれることは難しかったと思います。

弘兼 会社勤めだと帰宅時間がどうしても夜遅くなり、1日1コマも描けない。それでは1作を作るのに1年以上かかってしまう。

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