娘よりも母親(私)がいいの?平城天皇を惑わせ謀叛を共謀した平安時代の悪女・藤原薬子 (4/7ページ)
「さぁ、これで我らの恋路を邪魔する者はおらぬ!」
最初は理想的な政治を志していた平城天皇でしたが、政治の実権は薬子の兄・藤原仲成が握るようになり、兄妹二人で政治を私物化。
多くの人々から怨みを買ったでしょうが、何しろ天皇陛下が自分の言いなりなので、まさに怖いものなしです。
しかし、平城天皇は元から身体が弱かったため、健康上の理由から大同4年(809年)に皇位を皇太弟の神野親王(かみのしんのう。以下、嵯峨天皇)に譲られて太上天皇(上皇)となり、隠居のため平安京を去って平城京へ移住します。
このまま安らかな余生を送りたかったところですが、今までさんざん天皇陛下の権威を嵩(かさ)に威張り散らしてきた薬子と仲成は、気が気ではありません。
「上皇陛下には権威があっても権力に欠ける。このままでは、我らを怨む連中から復讐されかねない……」
そこで二人は、平城上皇をそそのかして遷都の詔勅(天皇陛下の命令)を発せしめるのでした。世に言う「薬子の変」の始まりです。