少年マンガっぽい響きにキュン!古代ヤマト政権「倭の五王」の正体とは? (3/5ページ)

Japaaan

この頃の記録は日本国内には残っていません。

しかし、大陸には、有名な「好太王碑(こうたいおうひ)」という石碑が残っています。「広開土王碑」とも呼ばれているものです。この石碑に、日本が朝鮮半島に出兵したことを示す碑文が残っています。

好太王碑について少し解説しますと、これは高句麗の19代目の王・好太王(広開土王)の業績を称えたものです。現在の中国吉林省に存在しており、4~5世紀初頭の朝鮮半島の歴史などを知る上での貴重な一次資料とされています。

Wikipedia『好太王碑』

ここには、ヤマト政権が派遣した軍が高句麗と戦ったことが記されています。

碑文の読み方や解釈については諸説あるようですが、当時の高句麗は、朝鮮半島中南部以降の諸国の動向に目を光らせており、わりと頻繁に倭人(日本人)の侵入を受けて交戦していたらしいことが伺われます。

ちなみに、高句麗との争いを通して日本は騎馬技術を習得し、馬の育成を始めたとされています。当時、高句麗は騎馬軍団を持っていたのでそれに対抗する必要があったのでしょう。

他国に軍隊を送り込んだり、戦場での技術を進化させたりと、当時のヤマト政権はなかなかの軍事国家だったことが伺えますね。しかも、国外へ出兵する余裕があったということは国内政治も安定していたと思われます。

さて先述の通り、好太王碑に記されているのは4~5世紀初頭の出来事です。そろそろ「倭の五王」の登場です。彼らは、こうした朝鮮半島情勢をふまえ、その渦中にあった倭を高い地位において外交や軍事を優位に進めていくために、中国へ使者を派遣していたのです。

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