大河ドラマ「鎌倉殿の13人」佐藤浩市の熱演に期待!上総介広常の強烈なキャラクター【上】 (3/7ページ)
相次ぐ苦難に、揺らぐ立場
さて、平治の乱(平治元年・1160年)で平清盛(たいらの きよもり)らに敗れた広常は、主君・義朝とは別行動で京都から脱出。
義朝は逃走中に暗殺され、嫡男の頼朝公(当時14歳)は伊豆国(現:静岡県伊豆半島)へと配流。長い長い雌伏を余儀なくされました。
その一方、どうにか本拠地の上総まで逃げ延びた広常は、何食わぬ顔で(あるいは戦々恐々としながら)平清盛政権に従っていましたが、やがて父・常澄が亡くなると、にわかに状況が変わります。
上総介の後継者は正統な嫡男・広常ですが、これに対して庶兄(腹違いの兄)である印西常景(いんざい つねかげ)や印東常茂(いんとう つねしげ)らが抗議してきたのです。
「確かにそなたは嫡流なれど、不敬にも朝敵・下野(しもつけ。