キリスト教伝来で勃発した宇宙観をめぐるキリスト教と仏教の対立 (2/4ページ)
そのさらに中央に須弥山がそびえ立っているのである。須弥山は金銀瑠璃などでできた宝の山だという。我々人間の世界は4島のひとつ「贍部洲」(せんぶしゅう)にあるとされる。加えるとこの地下には八大地獄が存在する。
■1549年にキリスト教が伝来し、天文学を武器に仏教を批判した
この仏教的宇宙観に浸っていた日本に、1549年イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)が上陸した。日本人は知的好奇心が旺盛で、天体の運行や月の満ち欠けなどの天文学の話を食いつくように聞いていたという。これ以後、イエズス会は日本へ派遣する宣教師の条件として天文学に詳しいことを重視した。まず宇宙論をきっかけとして、徐々にキリスト教の教義へと導こうしたのである。この頃の天文学を南蛮天文学と呼ぶ。もちろんこの頃の天文学は地動説ではなく天動説に基づくものであるが、先述のように天動説自体は精緻な理論で、特に地球説(地球球体説)によってこれまで日本人が信じてきた仏教的宇宙観は大きく揺らいだ。宣教師にとってキリスト教の布教は仏教をはじめとする「異教」を滅ぼすことでもあった。天文学は仏教批判の手段としても効果を発揮したのである。
■江戸時代のキリシタン弾圧で西洋天文学も途切れかけたが…
江戸時代に入るとキリシタン禁止と鎖国によって西洋天文学の流入は一度途切れたが、徳川吉宗 (1684〜1751)が天文学に関心が深かったことから、清代の西洋天文学本「天経或問」の訓読本が出版されるなどして須弥山は再び危機に陥った。18世紀末になると本木良永(1735〜1795)、司馬江漢(1749〜1818)ら蘭学者によってコペルニクスの地動説が紹介され精緻な科学理論の前に、須弥山はいよいよ駆逐されつつあった。またこうした動きに乗じて仏教と対立する儒学者、国学者、神道学者らの側も仏教批判を強めた。
■そして仏教的宇宙観である須弥山はたち消えた
こうした中、天台宗僧侶・円通(1754〜1834)が須弥山擁護を展開する。円通によると須弥山は禅定(瞑想)により得られる「天眼」によってでしか全貌を把握することはできない。我々が見ている現実世界は須弥山の一部に過ぎないと説いた。