討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【維新政府、徳川慶喜の動向編】 (5/7ページ)
(写真:Wikipedia)
主戦論が渦巻く大坂城中
慶喜の側近で筆頭老中の板倉勝静。大坂城中主戦派の暴発が迫っていることを慶喜に伝えた。(写真:Wikipedia)
維新政府内で、慶喜復権の動きが進む中、旧幕府軍がひしめく大坂城中では、軍事的暴発がギリギリのところまで迫っていた。
主戦派の中には、傍観を決め込む慶喜を刺し殺してでも、薩摩を討つために軍を京に向けようとする動きまであったという。
だが、慶喜は動かない。軍事的な衝突を避けつつ、事を慎重に進めれば、もう少しで維新政府内の重要なポジションに座することができるのだ。ここは、最後の我慢のしどころだった。
しかし、12月28日、慶喜が予想もしなかった報告が江戸から届いた。3日前に江戸湾を出港した軍艦順動に乗船した大目付の滝川具挙が大坂城に到着、江戸高輪の薩摩藩邸焼打ち事件の顛末がもたらされたのだ。
この報告に大坂城中は湧き上がった。江戸における薩摩藩の非道の数々、それを討伐した幕府軍の働き。将士たちは、激昂し血相を変え、慶喜に討薩を迫った。