討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【維新政府、徳川慶喜の動向編】 (6/7ページ)
追い詰められた慶喜は、ついに「討薩の表」を発した。
十二月九日以来の薩摩藩の振る舞いは、朝廷の真意ではない。ひとえに島津家の奸臣どもの陰謀である。さらに、浮浪の徒を装い江戸で押し込み強盗を働くなど、許せるものではない。君側の佞臣を除くため、誅戮を加える。
明くる1868(慶應4)年1月2日、1万5千の旧幕府軍が「慶喜公上京の御先供」の触れ込みで京都を目指して進軍を開始した。やがて、軍勢は薩摩を中心とする維新政府軍と激突、鳥羽伏見の戦いに発展していく。
しかし、これは決して歴史の椿事ではない。西郷隆盛という稀代の策士が画策した入念な仕掛け、すなわち「薩摩藩邸焼打ち事件」が功を奏したできごとだった。
慶喜の政権復帰が現実味を帯びてくる中、なんとしても戦争を起こし、慶喜と旧幕府の息の根を止めねば、自分たちの理想とする王政復古はならない。そんな西郷ら討幕派の執念が実ったのだ。