遷都、遷都、引越しばかり…古代日本の「都づくり」がなかなか落ち着かなかった問題 (3/7ページ)
瀬戸内海からの敵軍の侵攻に備えるため、中大兄皇子は飛鳥から遠い大津に遷都し、近江大津宮を設立したのです。ここで彼は天皇として即位し、さまざまな改革を進めていきました。
天智天皇の改革として有名なものに、日本で最初の律令法典である「近江令」の制定や、初の戸籍である「庚午年籍」の編成、水時計(漏刻)を用いた時報制度などが挙げられます。これらは全て、律令国家の基礎となる政策でした。
しかし671年11月2日、天智天皇は病のため志半ばで崩御。第一皇子である大友皇子が後を継ぎましたが、その後、大海人皇子が吉野、伊勢、美濃の豪族を率いて近江へと攻め込んだ壬申の乱で敗れて自害。大津宮は戦火の中で消滅しました。わずか5年と短命の都でした。
壬申の乱で勝った大海人皇子は天武天皇として即位し、また飛鳥へ都を戻しますが、しかし天武天皇自身はしばらく美濃にとどまり、9月になって岡本宮(飛鳥岡本宮)に移り住みました。これはかつての舒明天皇・斉明天皇の宮殿でした。
彼はさらに先のことを考えていました。天皇の代変わりごとに都を移す旧慣を廃止し、永続的な都を建設しようとしたのです。