遷都、遷都、引越しばかり…古代日本の「都づくり」がなかなか落ち着かなかった問題 (5/7ページ)

Japaaan

また道路網が整備されていなかったため、領地からの収穫を集めることが難しく、それなら天皇のほうが移動して集めていく方が効率的だったという見方もあります。実際、当時の都は簡単に移動できるほど小さいものでした。

しかし大化の改新以降、朝廷は律令国家として中央集権政治をめざしたことから、社会全体が複雑化していきます。官僚の人数が増え、既宅などの規模も大きくなっていきました。こうして、政治効率の点から、流動的でない都の築造が求められるようになったのです。

こうして造られたのが藤原京です。後の平城京や平安京と比べると小規模でしたが、初めて中国の都をモデルにして「条坊制」を本格的に取り入れた都城都市でした。

ヤマト政権では、政治改革を行おうとしても豪族たちが反対してなかなか実現できませんでした。それがやっと実現できたのが藤原京だったのです。

しかしこの藤原京も、首都としては十数年しか続きませんでした。

それには地理的・衛生的な問題などもありましたが、何よりも、最新の中国の都城と藤原京とがあまりにも違っていたという理由があったようです。意気込んで造ったのはいいものの、写真もない時代、ほとんど想像で建造したのだから当然です。

こうして710年、元明天皇は都を藤原京から平城京へ移しました。宮内の建物は解体され、藤原京に住居を構えていた貴族や役人も引っ越し。瓦や柱など、再利用できる建築部材は全て平城京に運ばれていきました。

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