「甲子園がないから野球が楽しかったのかも」元球児の作家が見た「甲子園がなかった夏」(2) (4/5ページ)

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だからこそ10年後、社会のど真ん中に立っている彼らに「ぶっちゃけ、あの時どうだった?」と聞いてみたいんですよね。

――野球が好きな人、大学や社会人、プロに進みたい人は甲子園があろうとなかろうと練習をするわけですから、言葉は悪いかもしれませんが、甲子園がなくなることで物事がシンプルになる気もしました。となると、甲子園とは一体何なのか、という疑問も浮かんできます。

早見:僕もずっと考えていました。もちろん、それを望んでいたわけではありませんが、仮にコロナで3年間甲子園がなくなったら、日本の高校野球は劇的に変わるんだろうと思っていました。3年間甲子園を一度も目指せなかった世代、そして甲子園で野球をやっているお兄さんたちに憧れる中学生が一人もいない世代ができるということですからね。再開した後の甲子園の見られ方も変わるだろうと。

その時に、まったく新しい高校野球が生まれるのかもしれませんが、この国における高校野球が持っているある種の「特別性」は失われるのかもしれません。ただ現状を見ると、やはり良くも悪くも化け物のような存在になってしまっていますよね、甲子園って。

――世間の関心度やマスコミの取り上げ方を見ても怪物的ですよね。単なる「部活の全国大会」以上の存在になっていると感じます。

早見:僕も高校野球をやっていた頃に「全国大会に出たい」という言葉を使ったことはなかったです。「全国大会」ではなく「甲子園」なんですよね。現役時代からそういう大きくていびつな存在として甲子園を捉えていました

その意味では、済美高校の山田響選手が言っていた「甲子園がないから野球が楽しかったのかもしれない」という言葉は真理だと思います。高校生がここまで考えられるのはすごいと思いましたし、うらやましいとも感じました。

――2020年の甲子園が中止になったことで、今高校野球やっている人は来年以降また中止になるかもしれないという不安をどこかで抱えながら毎日を過ごすことになります。

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