「征夷大将軍の肩書きなどいらぬ」せっかくのポジションを無下にした源頼朝の真意とは? (4/5ページ)
鎌倉~室町期の幕府と朝廷の関係
頼朝が急死した後、幕府の将軍職の後を継いだのは息子の頼家でした。それを決めたのは鎌倉幕府であり、朝廷ではありません。
幕府にいた武士たち、次のリーダーとして頼家を選んだからこそ、彼は将軍になれたのです。
wikipedhiaより鎌倉幕府二代将軍 源頼家像(京都 建仁寺所蔵)
これまでの通俗的な理解だと「頼朝は征夷大将軍という軍事のトップに立ったから、その権力を発揮して鎌倉幕府を開いたのだ」とされていましたが、頼家の例を見ると、征夷大将軍というポジションとは関係なく幕府のリーダーになれたことが分かります。
後に、頼家は征夷大将軍になっていますが、それは頼朝が急死してから三年後のことでした。
このように、朝廷が与える肩書にあまり意味がなかったことを示すものとしては、室町幕府の六代将軍・足利義教の例が挙げられます。