「出世より妻が大事!」武田信玄に物申した戦国武将・小幡上総助の妻に対する愛 (4/4ページ)

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終わりに

武田家の滅亡。歌川国綱「天目山勝頼討死図」

その後も上総助は妻を愛して忠勤に励み、天正10年(1582年)に武田氏が滅亡した後は上野国へ侵攻してきた北条氏直(ほうじょう うじなお)に降りましたが、武田の名将(武田二十四将に数えられることも)とあって尊重されます。

やがて北条氏が天正18年(1590年)に滅ぼされると、かつて武田旧臣として伝手のあった真田昌幸(さなだ まさゆき)を頼って余生を送り、文禄元年(1592年)に53歳で世を去りました。

上総助の正室がいつまで生きていたかは不明ながら、上総助に愛された生涯が幸せであったことを願います。

※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年12月
黒田基樹『戦国期山内上杉氏の研究』岩田書院、2013年2月

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