「出世より妻が大事!」武田信玄に物申した戦国武将・小幡上総助の妻に対する愛 (1/4ページ)
戦国時代、家同士の利害によって望まぬ男女が縁づけられる政略結婚が当たり前で、家同士が対立すればたちまち破引き裂かれてしまうのも、これまた当たり前でした。
とは言っても、事情はどうあれひとたび迎え入れた以上、少しでも妻を幸せにしてやりたい、守り抜きたいと思うのが、夫として、男性としての当然の心情と言うもの。
そんな思いは今も昔も変わらなかったようで、今回は「甲斐の虎」こと武田信玄(たけだ しんげん)公に仕えた小幡上総助信貞(おばた かずさのすけのぶさだ)のエピソードを紹介したいと思います。
科なき妻を去り、路頭に立たせ候ては…上総助、かく語りき小幡信貞(以下、上総助)は天文9年(1540年)、上野国国峯城(現:群馬県甘楽郡)城主・小幡尾張守憲重(おわりのかみ のりしげ)の子として誕生。
当初は関東管領の上杉憲政(うえすぎ のりまさ)に仕えていたものの、やがて対立すると信玄公についてその上野進攻を手引きし、ほか三増峠の合戦(永禄12・1569年)や三方ヶ原の合戦(元亀3・1573年)など数々の武功を立てます。