危機一髪!とっさの機転で暗殺を免れた伏見天皇「浅原事件」の顛末 (1/5ページ)

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危機一髪!とっさの機転で暗殺を免れた伏見天皇「浅原事件」の顛末

多くの心ある日本人にとって、国民統合の象徴として心のよりどころとなっている皇室。

初代の神武天皇から令和の今上陛下まで126代の天皇陛下が日本国を治(しら)されてきましたが、二千六百年を越える永い歴史の中には凶賊に襲われたり命を落とされたりなど、幾多の困難がありました。

伏見天皇。Wikipediaより

今回はそんな一人、鎌倉時代の伏見天皇(ふしみてんのう。第92代)が暗殺されかけたエピソード「浅原事件(あさはらじけん)」を紹介。

果たして陛下は、どのように難を逃れることができたのでしょうか。

御所へ乱入した3人の凶賊

時は鎌倉時代後期の正応3年(1290年)3月9日夜、賊徒が御所を襲撃しました。

主犯の名前は浅原八郎為頼(あさはら はちろうためより)。息子の浅原太郎光頼(たろうみつより)と浅原八郎為継(はちろうためつぐ)を伴い、父子3人での凶行です。

元は甲斐源氏の名族で強弓の使い手でしたが、弘安8年(1285年)11月17日に勃発した幕府内の権力抗争「霜月騒動(しもつきそうどう)」のとばっちりを受けて所領を没収されてしまいます。

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