縄文時代はなんと一万年以上もあった!(4)前期・物々交換が始まり集落にはストーンサークル? (7/7ページ)

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環状列石中心部の立石 ウィキペディアより1

環状列石中心部の立石構造 ウィキペディアより(イメージ)

その周りに人骨を埋葬したと思われる竪穴と河原石を円形に積んだ集石遺構が多数取り巻いています。約700基余りの土壙墓があると推定されています。

上掲の写真にあるような中央の立石構造から、ドーナツ状の集石群の間を通して“蓼科山”を拝望できるように作られた祭祀場であったと考えられています。

人々の集落の規模はどんどん大きくなっていきました。そして人々はこの大規模集落や祭祀場を作る為に集団行動をするようになり、そこにはリーダーの存在や、専門的知識を持つ人の存在があったことが伺われます。

この頃の日本の人口は約10万5500人と推定されています。

次回、縄文時代はなんと一万年以上もあった!(5)中期に続きます。

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