愛妻に隠し事はできない…後醍醐天皇の討幕計画を洩らしてしまった土岐頼員の失態 (1/3ページ)
私事で恐縮ながら、小学生のころに同級生がこんなことを言っていたのを覚えています。
「大事なことを女子に話すと、一瞬で広がるから注意しろ」
男女を問わず、口の軽い人物に大切なことは話さない方がいいものですが、こと女性からせがまれるとついつい口を滑らせてしまうのが男性というもの。
それが人の生死や天下の形勢にまで影響を及ぼすようなことであれば尚更で、今回はそんなうっかりが大失敗をもたらした土岐頼員(とき よりかず)のエピソードを紹介。
「俺はそんなヘマなどしない」もしあなたが同じ立場なら、そう自信を持って言えますか?
妻を想って切り出した別れ話が仇となり……土岐頼員は鎌倉時代末期の元亨4年(1324年)9月、後醍醐天皇(ごだいごてんのう。第96代)の主導する鎌倉幕府討伐計画に参加。
倒幕の計画を練る後醍醐天皇(イメージ。Wikipediaより)
側近の日野俊基(ひの としもと)や日野資朝(すけとも)、土岐頼貞(よりさだ)や多治見国長(たじみ くになが)らが兵を結集、9月23日の決起に向けて万端の準備を進めていました。
「よし、これで我らが勝利は疑いなきところぞ!」
いよいよ挙兵を目前に控えた9月19日、この戦いで命を捨てるつもりでいた頼員は愛妻に別れを告げます。離縁すれば、万が一挙兵が失敗に終わっても、愛する彼女に迷惑(連帯責任)が及ぶこともないでしょう。