「鎌倉殿の13人」尼将軍・北条政子の墓を伝える鎌倉の名刹。壽福寺と安養院【後編】 (3/6ページ)

Japaaan

(写真:Wikipedia)

さらに、政子が最も精神的なダメージを受けたのが、長女大姫の死であったはずです。大姫の婚約者は、人質として鎌倉にいた源(木曾)義仲の嫡男義高でした。幼い頃から政子のもとで育った2人は、相思相愛であったとされます。

しかし、義仲は頼朝と対立して敗死。義高は、頼朝の命で殺害されてしまいます。これを機に大姫は重病におちいり、わずか20歳でこの世を去りました。政子は溺愛していた娘の死に大きな衝撃を受け、自らも死を望みますが、頼朝の励ましにより、大姫の後生を弔うために生きることを決心したといわれます。

だが、大姫死亡の2年後に頼朝も死去します。『承久記』によると政子は、「これで自分の人生は終わったが、今自分が死んでしまえば幼い頼家の行く先が危ぶまれる」と述懐していました。

 鎌倉幕府3代将軍源実朝。兄頼家と異なり文化肌で後鳥羽上皇からも信頼されたが、頼家の遺子公暁に暗殺された。(写真:Wikipedia)

そして、出家して尼になり、尼将軍として夫頼朝が創出した鎌倉幕府を守り抜くための政治活動に邁進していくことになるのです。

「「鎌倉殿の13人」尼将軍・北条政子の墓を伝える鎌倉の名刹。壽福寺と安養院【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、安養院壽福寺鎌倉殿の13人北条政子鎌倉カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る