生まれよりも生き方が大事…兄からの冷遇に耐えて活躍した平安貴族・藤原良仁の生涯 (1/6ページ)
現代ではあまり聞きませんが、昔は男性が正室のほかに側室を迎えることも少なからずあり、そのため腹違いの兄弟姉妹が多くいました。
父親は同じでも、母親が違えばまるでよその子……みんながみんな仲良しではなかったことでしょう。
今回は平安時代、腹違いの兄たちに軽んじられながらも懸命に生きた藤原良仁(ふじわらの よしひと)を紹介。
果たして彼は、どのような生涯をたどったのでしょうか。
皇太子・道康親王に仕える藤原良仁は平安時代初期の弘仁10年(819年)、藤原北家の一族・藤原冬嗣(ふゆつぐ)の七男として誕生しました。
その容姿は美しく整い、立ち居振る舞いは風神を思わせる颯爽ぶり。ファッションセンスにもすぐれて鮮やかな装いだったと言います。
また仏教を篤く信仰してためか性格も淡雅にして高潔、幼少期から読書や勉学に励みました。唯一の趣味は乗馬で、スポーツも勉強もできる将来有望な青年でした。
しかし母親の島田村作女(しまだの むらなりのむすめ)は身分が低く、そのため腹違いの兄たちからは軽んじられていたようです。もしかしたら妬まれていたのかも知れません。