浮世絵師・月岡芳年の名作「月百姿 朝野川晴雪月 孝女ちか子」の裏に隠れた悲劇的な物語の結末【前編】 (4/7ページ)

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大阪天保山夕立之景 画:八島岳亭 出典:Picrylより

大阪天保山夕立之景 画:八島岳亭 出典:Picrylより

“宮腰”は北前船の重要な中継港であり、五兵衛は米や木材の売買を中心に商いを拡大していきます。

北前船の特徴としで、自己資金で調達した荷を寄港地でより高く販売する商売船の「買い積み」があります。地域による価格差で儲けを出す仕組みで、価格差が大きいほど利益が上がるというものでした。

それまで材木の輸送は運賃だけを稼ぐだけの「賃積み」が一般的でしたが、五兵衛は利幅の見込める「買い積み」を選択し、それは材木の供給元の商売人にも利益を生み出し、歓迎されました。
しかし「買い積み」は船が沈没したり、買い手がつかない場合は大損になるというリスクも伴うものでした。

やがて五兵衛は、最盛期には千石積みの持ち船を20艘以上、全所有船は200艘を所有するという大海運業者となり『海の100万石』と呼ばれるほどの豪商となったのです。

加賀藩と銭屋五兵衛の結びつき

銭屋五兵衛たち一族が住む加賀藩藩主の前田家は、徳川将軍家との姻戚関係が強く幕府はどこよりも高い御用金を、常に加賀藩に求めた為にその台所事情はいつも火の車でした。

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