もぐり込み失敗!平安時代、宴席から追い出されてしまった下級貴族たちの憂鬱 (4/5ページ)

Japaaan

「小倉百人一首」より、曽根好忠(画像:Wikipedia)

永く丹後掾(たんごのじょう。掾は国司の三等官)を務めたことから「曽禰丹後掾」と呼ばれ、やがて略されて「曽丹後(そたんご)」、果てはそれすら面倒なのか「曽丹(そたん、そた)」など嘲られたと言います。

実に気の毒ではありながら、好忠は好忠で自尊心が強く、偏狭な性格だったため周囲からは嫌われていたとか。

貴族社会でいじめられたから偏狭になったのか、偏狭になったからいじめられたのか、実に微妙なところですね。

一方の重節は、今回のエピソードのほか天禄3年(972年)に伊予掾として名前が出た以外、その生涯はほとんど不明。一応は歌人として知られた好忠よりさらに不遇であったことが察せられます。

下級貴族たちの無念

ところで貴族社会における官位は、五位以上と六位以下で暗く深い溝があり、正一位(じょういちい)から少初位下(しょうそいのげ)まで一口に「平安貴族」と言ってもその扱いは雲泥の差でした。

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