もぐり込み失敗!平安時代、宴席から追い出されてしまった下級貴族たちの憂鬱 (1/5ページ)

Japaaan

もぐり込み失敗!平安時代、宴席から追い出されてしまった下級貴族たちの憂鬱

「あぁ。お城で開かれる舞踏会に参加して、素敵な人(あわよくば王子様と)と巡り合いたい……」

おとぎ話でシンデレラが願ったように、日本でも華やかな場所に出てコネを作り、我が身の栄達を図る人は無数にいました。

平安時代の貴族たちもその例に洩れず、圧倒的大多数の下級官人は皇族をはじめとするやんごとなき方々に接近するため、あの手この手で苦闘しています。

歌会は単なる遊びではなく、出世のチャンスでもあった

今回はそんなエピソードの一つを紹介。彼らの涙ぐましいチャレンジを、どうか知ってあげて下さい。

もぐり込んではみたものの……。

時は平安中期の永観3年(985年)2月13日、円融上皇が紫野(むらさきの。現:京都市北区)で子日(ねのひ)の御遊(ぎょゆう)を催されました。

当日のお出かけには左大臣の源雅信(みなもとの まさざね)・右大臣の藤原兼家(ふじわらの かねいえ)以下そうそうたるメンバーが供奉し、都じゅうから雲のような見物者が押しかけるほどの一大セレモニーだったようです。

さて。盛大な饗宴の後には陛下の御前で歌を披露するべく、当世を風靡する歌人たちが召し出されました。

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