源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その2】 (2/7ページ)
「前九年の役」は頼義の私欲で起きた
頼義の配下が襲われた「阿久利川事件」が勃発
「前九年の役」が再燃するきっかけとなった阿久利川の古戦場跡。〈写真:T.TAKANO〉
1056年2月、陸奥国国司の任期が終了した源頼義が京都に戻ることになると、安倍頼時は、頼義を労うために居館の衣川柵で饗応を行います。事件はこの直後に起きました。
衣川柵から胆沢城を経て多賀城へ帰る途中、阿久利川畔で宿営していた頼義の配下陣所が何者かに襲撃されたのです。これが、「前九年の役」再燃のきっかけとなった「阿久利川事件」です。
この襲撃に対し疑いの目を向けられたのが、安倍頼時の子である貞任でした。襲撃を受けた藤原光貞が犯人は安倍貞任だと密告してきたのです。
光貞:以前、安倍貞任が自分の妹を妻に欲しいと言ってきました。しかし、卑しい俘囚のお前になぞ、妹はやれないと断ったのです。今回の事件は、それを根に持った貞任の犯行に間違いありません。
これを聞き怒った源頼義は、頼時に対し貞任の身柄を引き渡すよう要求します。しかし、頼時は断固これを拒否しました。
頼義:おのれ頼時め。国司たる余の命令がきけないというのか!ならば安倍を討つまでよ。