源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その2】 (6/7ページ)

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この経緯については、経清とともに頼義の幕僚であった平永衡が戦場で煌びやかな甲冑を身に着けていたために、頼義軍の位置を安倍軍に伝えているという嫌疑をかけられ、頼義により処刑されたことがきっかけになったといわれています。

しかし、頼時の死去で形勢不利に傾いた安倍軍に身を投じるというのは、在庁官人としての経清の立場を考えれば理解できません。頼義の野望を快く思っていなかった経清は、頼義軍から離脱する機会をはかっていたのでしょう。

経清:頼義の欲深さにはうんざりだ。私欲のために安倍を滅ぼし、陸奥を再び戦乱に巻き込もうなど許しがたい。こうなれば、貞任とともに戦おう!必ずや頼義を陸奥から追い払ってみせる。

経清は、長らく在庁官人を務めてきた経験から、今回の戦いは「頼義の言いがかり」から起きたことで、朝廷はこれを頼義の私戦とみなす可能性があることを予測していたのかもしれません。

朝廷は、陸奥で戦乱が起こることを望んではいないはずです。ですから、頼義さえ陸奥から追ってしまえば、また平和が訪れると踏んでいたのでしょう。

頼時が死んでも、安倍氏には勇猛果敢で知られる貞任と戦上手な弟の宗任が健在でした。自分が彼らと力を合わせれば、頼義に勝つことができると判断した結果の離反であったと考えられます。

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