源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その2】 (5/7ページ)

Japaaan

〈写真:T.TAKANO〉

藤原経清が頼義から離反した理由 安倍頼時の死去と経清の裏切り

 「歴史公園えさし藤原の郷」の藤原経清と妻・有加一乃末陪(ありかいちのまえ)の人形。〈写真:T.TAKANO〉

「前九年の役」が再発したことで、源頼義は陸奥国国司に再任されます。そして、すぐに軍を発し安倍時頼と戦闘状態に入りました。しかし、頑強に抵抗する安倍軍との間で戦闘は一進一退に陥ります。

1057年5月、頼義はこの状況を打開するために、津軽の俘囚を味方に引き入れ、安倍頼時を挟み撃ちにする策に出ます。頼時は頼義側についた俘囚を説得するために津軽に出陣しますが、待ち伏せを受け、重傷を負ってしまいました。頼時は、支城の鳥海柵に逃れますが、ここで死亡してしまうのです。

頼時を葬った頼義は一気に安倍氏討伐に動くつもりだったのでしょう。しかし、ここで思いもよらぬ事態が生じました。有力幕僚である藤原経清が、一族郎党を率いて安倍軍に寝返ったのです。

「源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その2】」のページです。デイリーニュースオンラインは、藤原経清源頼義平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る