【鎌倉殿の13人】独りじゃないよ!流人時代から頼朝に仕え、気にかけた者たち【前編】 (4/6ページ)
騒動は何とか収まったのですが、それだけでは気が済まない政子は広綱を遠江国(現:静岡県西部)へ流罪に処してしまいました。
(あぁ、気の毒に……しかし、それがしの家でなくてよかったわい)
内心、胸をなで下ろしていたかも知れませんね。
藤原邦通(ふじわらの くにみち。生没年不詳)通称は藤判官代(とうの ほうがんだい)。判官代とは国衙(こくが。現代の都道府県庁的な役所)の下級役人で、土地の管理や年貢の徴収などを担当する役職(その代理・補佐)です。
大和国(現:奈良県)の国衙に勤めていたため「大和(やまと)判官代」とも呼ばれました。
元は京都洛中の遊び人(放遊の客)だったそうで、文筆や絵画、占いに歌舞音曲など多才に恵まれたと言います。判官代の経験から、政治的な実務能力にも長けていたことでしょう。