「鎌倉殿の13人」頼朝の弟・義円が挑んだ墨俣川の合戦…第11回放送「許されざる嘘」予習 (4/7ページ)

Japaaan

流人の分際で嫡流を気取り、この叔父を家人の如く扱いおって……先に上洛を果たして、どっちが源氏の棟梁に相応しいかを見せつけてくれるわ!)

そのために義円の「頼朝の弟」というブランドを、広告塔として利用する肚づもりなのでした。

「叔父上、ここは一刻も早く上洛して平家を討ち滅ぼしましょうぞ!」

「ははは、若いのぅ。まぁ待て、しばし兵を集めるのじゃ」

かくして尾張国(現:愛知県西部)に滞在中、義円は同国愛知郡の郡司・慶範(けいはん)禅師の娘を娶りました。

「源氏の御曹司を婿にお迎えできましたこと、まこと光栄にございまする」

「うむ。共に合力して平家を討ち滅ぼし、鎌倉殿の天下をお支え申そうぞ!」

「ははあ……」

(……ケッ!)

頼朝たちが富士川の合戦(治承4・1180年10月20日)で平家の討伐軍を撃退して以来、源氏の人気はうなぎ登り。続々と兵が参集し、やがて数千騎とも言われる大軍に成長します。

「さて、時は満ちたな」

年も明けた治承5年(1181年)3月、行家と義円の軍勢はいよいよ出陣。

再び源氏討伐にやってきた平重衡(たいらの しげひら)率いる軍勢と、墨俣川(現:長良川)を挟んで対峙したのでした。

狙うは大手柄!単騎で敵中へ殴り込むが……

「いよいよ初陣……緊張するわい」

「大丈夫、この叔父がついておる。あまり功にはやって無理をするでないぞ?」

「はい。ここで武勲を立てて、鎌倉の兄上にお喜び頂かねば、お見送り下さった法親王殿下に合わせる顔がありませぬ!」

ダメだこりゃ、ぜんぜん聞いてない……まぁ問題なかろう。何せ敵は水鳥の羽音に恐れおののいて逃げ出すような連中じゃからのぅ……。

「よぅし。今若の兄者(全成)に牛若(義経)……見てろよ~!」

もう興奮しまくっている義円に、端っから敵をナメ切っている行家……これでは勝てる戦さも勝てません。

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