天保水滸伝に登場する笹川繁蔵こと岩瀬繁蔵の不慮な死と死後の偶然 (7/8ページ)

心に残る家族葬

ところで、繁蔵の首はどこだ?

■笹川繁蔵の首の行方

繁蔵を討ち取った3人は、助五郎に繁蔵の首を見せた。すると助五郎は「早まったことをしてくれた!」「このことは当分、誰にも言うな!」と3人を叱りつけ、首を定慶寺(じょうけいじ、現・旭市飯岡)内の笹藪の中に埋めさせ、目印に「清岩繁勇信士」と戒名を刻んだ丸石を置かせていたという。しかもこのことは、講談や浪曲などにおける「脚色」ではなかった。繁蔵の胴体が発見された翌年、有志の人々が定慶寺内を探索したところ、確かにそこからしゃれこうべが発見されたのだ。死後85年を経て、繁蔵の体は元の状態に戻り、諏訪大神からほど近い延命寺に葬られた。そして、豊子が建てていた石碑も、寺内に移された。定慶寺には改めて、繁蔵の首塚が建てられた。

冒頭の問いに戻るが、果たして繁蔵の一生は「不運」だったのか。それとも不慮の死を遂げた、『天保水滸伝』の英雄・繁蔵の魂がようやく浮かばれると、地域の人々が町を挙げて、盛大な埋骨式や供養を行ったことは「幸運」だったのか。答えは人それそれで、その判断に正解はないだろう。そもそも、人は死んでしまったら「おしまい」なのか?そうは思いたくないが、不慮の死を経ての、繁蔵の遺体再発見のエピソードは我々に、死んでしまっても、「おしまい」ではないと教えてくれているように思われる。

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