「鎌倉殿の13人」頼朝にスキャンダル発覚!壮大な夫婦喧嘩の結末は…第12回「亀の前事件」予習 (4/8ページ)
で、この日(11月10日)牧三郎宗親が広綱邸を破壊、大いに辱めたのであった。広綱は亀の前を連れて何とか脱出、鐙摺にいる大多和五郎義久(おおたわ ごろうよしひさ。三浦義澄の弟)の元へ逃げおおせたのであった……。
ちなみに牧三郎宗親は牧の方の兄(もしくは父)であり、時政の小舅(もしくは舅)すなわち頼朝にとっては義理の伯父(もしくは祖父)に当たります。
頼朝「政子のヤツ、手を出しにくい相手を選んで犯行に及ばせるとは……許せん!」
でも、政子に真っ向から抗議するのは怖いので、牧宗親に八つ当たりするのでした。
泣いて謝る宗親の髻(もとどり)を……壽永元年十一月小十二日己卯。武衛寄事於御遊興。渡御義久鐙摺家。召出牧三郎宗親被具御共。於彼所召廣綱。被尋仰一昨日勝事。廣綱具令言上其次第。仍被召決宗親之處。陳謝巻舌。垂面於泥沙。武衛御欝念之餘。手自令切宗親之髻給。此間被仰含云。於奉重御臺所事者。尤神妙。但雖順彼御命。如此事者。内々盍告申哉。忽以与恥辱之條。所存企甚以奇恠云々。宗親泣逃亡。武衛今夜止宿給。
※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)11月12日条より
頼朝「貴様、覚悟は出来ているんだろうな!」
宗親「申し訳ありません、御台所(政子)様のご命令でしたので……」
11月12日、頼朝は遊びに行くという名目で義久の館を訪ね、宗親を責め立てます。
宗親はかわいそうに、恐怖のあまり舌がもつれて言葉も出ず、顔面を泥まみれにするくらい土下座して詫びたのでした。
頼朝「お前なぁ、政子の命令を聞くのは結構だが、こういう案件はまず内々に報告しろよ!亀の前に何かあったら、どうするつもりだったんだ!」
腹の虫が収まらない頼朝は、宗親の髻(もとどり。結い髪の根元部分)を切り落とすという暴挙に出ます。
この当時、頭髪は人目にさらさず、自害の時を除いて切ることはありませんでした(もちろん、整髪くらいはしたでしょうが)。