【鎌倉殿の13人】全員登場して欲しい!木曽義仲(演: 青木 崇高)と共に活躍した「義仲四天王」を紹介 (5/8ページ)

Japaaan

歌川芳員「本朝英雄鏡」より

通称は四郎、または大弥太(おおやた。小弥太とも)。父は望月国重(もちづき くにしげ)、同族の海野幸親(うんの ゆきちか)と同一人物と見られることもあるようです。

生年は不詳ながら保元元年(1156年)に起こった保元の乱では頼朝の父・源義朝(よしとも)に従軍。同一人物とされる海野幸親は永治2年(1142年)生まれとのことで、もしそうであれば当時15歳の初陣でしょうか。

義仲の挙兵に従って各地を転戦、上洛後に鎌倉からの討伐軍を宇治川で迎え撃つも敗北。一歩も退くことなく討死しました。

寿永3年(1184年)1月26日、義仲らと共に梟首(きょうしゅ。さらし首)とされます。

楯親忠(たて ちかただ)

宇治川で奮闘する親忠(右)。歌川国芳筆

通称は六郎、根井行親の子として誕生します。生年は不詳ながら、父の生まれた推定年代からまだ年少と見られ、父と生死を共にしたのでしょう。

並みいる義仲陣営の豪傑たちをさしおいて四天王に選ばれたのですから、よほど将来を嘱望されていたものと思われますが、父の名に恥じぬよう最期まで戦い散華したのでした。

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