愛娘を喪った悲しみ…カタブツ平安貴族・藤原実資が「かぐや姫」と呼んで愛した藤原千古。その名の理由は? (3/5ページ)
しかし、現地に行ってみると遺体は既にありませんでした。恐らくは盗まれたのでしょう(鳥獣が食い荒らしたなら、血痕や残骸などからその事実を察するはずです)。
子供の遺体なんて盗んでどうするのか……布はもちろんのこと、臓器などは生薬の原料となるので売り飛ばしたものと考えられます。
こんな事なら手厚く葬ってやればよかった(あるいは回収になんて行かせなければよかった)……実資の後悔が目に浮かぶようです。
月に帰ったかぐや姫その後も熱心な子宝祈願の末、正暦4年(993年)2月に授かった女児まで亡くしてしまった実資。
千古が誕生した寛弘8年(1011年)ごろには50歳を過ぎており、よく「歳をとってからの子供はより可愛い」と言う通り、他のどの子よりも可愛がりました。
実資には千古のほかにも良円(りょうえん。出家)や養子たちがいたものの、財産のほとんどをこの愛娘に相続させるよう宣言します。
「道俗子等一切不可口入(どうぞくこどもいっさいくちいれすべからず)!」
これは実資の処分状(しょぶんじょう。財産の処分=遺産相続について記した遺言状)の一節。
我が遺産のほぼ全てを、可愛い千古に相続する……出家した者(道)もそうでない者(俗)も、私の決定に異論は認めない!断固たる決意から、実資の溺愛ぶりが偲ばれます。
ところで、千古を「かぐや姫」と呼んだのはなぜでしょうか。