「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習 (5/7ページ)

Japaaan

「このことは、くれぐれも内密にせよ……」

病床に伏してしまう大姫。菊池容斎『前賢故実』より

大姫にショックを与えぬよう配慮したつもりでしたが、人の口に戸は立てられぬもの。間もなく義高の死を知ってしまった大姫は、水さえ飲めぬほどに衰弱してしまいます。

「冠者殿を討つに当たって、御心苦しいこともあったでしょう。しかし、姫に配慮のなかったあの男は許せませぬ!」

愛娘の痛ましい様子に政子は大激怒。頼朝に詰め寄った結果、6月27日に藤内光澄を梟首(きょうしゅ。さらし首)に処させたのでした。

終わりに

【義高の脱走】

元暦元年四月小廿一日己丑。自去夜。殿中聊物忩。是志水冠者雖爲武衛御聟。亡父已蒙 勅勘。被戮之間。爲其子其意趣尤依難度。可被誅之由内々思食立。被仰含此趣於昵近壯士等。女房等伺聞此事。密々告申姫公御方。仍志水冠者廻計略。今曉遁去給。此間。假女房之姿。姫君御方女房圍之出郭内畢。隱置馬於他所令乘之。爲不令人聞。以綿裹蹄云々。而海野小太郎幸氏者。与志水同年也。日夜在座右。片時無立去。仍今相替之。入彼帳臺。臥宿衣之下。出髻。日闌之後。出于志水之常居所。不改日來形勢。獨打雙六。志水好雙六之勝負。朝暮翫之。幸氏必爲其合手。然間。至于殿中男女。只成于今令坐給思之處。及晩縡露顯。武衛太忿怒給。則被召禁幸氏。又分遣堀藤次親家已下軍兵於方々道路。被仰可討止之由云々。姫公周章令銷魂給。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)4月21日条

【義高の最期】

元暦元年四月小廿六日甲午。堀藤次親家郎從藤内光澄皈參。於入間河原。誅志水冠者之由申之。此事雖爲密議。

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