「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【後編・壇ノ浦の合戦】 (3/7ページ)

Japaaan

『平家物語』では歴戦の勇士、王城一の強弓精兵として名を馳せ、義経のライバルとして立ちはだかりました。

一方で『吾妻鏡』だとあまり目立たず、元暦2年(1185年)2月7日の一ノ谷合戦で討死したことになっていますが、『玉葉』では生存の噂が流れていたことから、実は生き延びていたのでしょう。

壇ノ浦では敗北をさとった平家一門の者たちが次々と入水自殺しく中、なおも獅子奮迅の抵抗を示しますが、従兄の平知盛(とももり)から「もはや勝負が決した以上、無駄に罪作りなこと(殺生)をするな」と諭されました。

「それならせめて、総大将を道連れにしてくれるわ!」

と義経を目がけて挑みかかったところ、捕まったら敵わない義経は次から次へ、舟を八艘跳んで逃げます。

「こら、逃げるな!」義経を追う教経。月岡芳年「芳年武者无類 能登守教経 九郎判官源義経」

義経に逃げられてしまった教経は、ならば「我と思わん者は組討ちせよ。生け捕って鎌倉へ連れていけ」と周囲を挑発。

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