この予習は必須!【鎌倉殿の13人】北条泰時の生涯と実績をたどる。御成敗式目だけじゃないぞ:前編 (4/7ページ)

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そして後鳥羽上皇との最終対決「承久の乱」では鎌倉方の総大将として出陣(父・義時は鎌倉で留守番)。鎌倉を出る時にはたった20騎だったのが、進軍するうち雲が龍に従うごとく大軍勢に。

かつて頼朝から授かった聖剣を掲げて大勝利を収めた泰時は、叔父の北条時房(演:瀬戸康史)と共に六波羅探題を務め、朝廷の監視や西国武士の統括に当たったのでした。

義時の後継者となり、新「鎌倉殿の13人」を結成

ここまででも大活躍の泰時ですが、彼の人生はまだまだこれから。

承久の乱に勝利した北条泰時。月岡芳年筆

貞応3年(1224年)6月13日に父の義時が急死したため鎌倉へ戻った泰時は、継母である伊賀の方(いがのかた)が生んだ異母弟・北条政村(まさむら)との後継者争いに巻き込まれます。

後世に言う「伊賀氏の変」は北条政子(演:小池栄子)と大江広元(演:栗原英雄)の協議により、泰時と時房を執権とすることで決着。

伊賀の方は幽閉されたものの、政村や彼を担いだ疑いのある三浦義村は不問に処されるなど、処分は甘めだったようです(政村は第7代執権に就任)。

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