この予習は必須!【鎌倉殿の13人】北条泰時の生涯と実績をたどる。御成敗式目だけじゃないぞ:前編 (6/7ページ)
【新「鎌倉殿の13人」結成時メンバー】
執権・北条泰時
連署・北条時房
後藤基綱(ごとう もとつな)
斎藤長定(さいとう さがさだ)
佐藤業時(さとう なりとき)
中条家長(ちゅうじょう いえなが)
中原師員(なかはら もろかず)
二階堂行村(にかいどう ゆきむら。13人の一・二階堂行政の子)
二階堂行盛(にかいどう ゆきもり。行村の甥)
三浦義村(みうら よしむら)
三善倫重(みよし みちしげ。矢野倫重)
三善康連(やすつら。太田康連。13人の一・三善康信の子)
三善康俊(やすとし。町野康俊。康連の兄)※評定衆11名は50音順。
※一説にはこの時に初めて「執権」という言葉が使われ、初代の北条時政(演:坂東彌十郎)と義時は『吾妻鏡』の編纂時にさかのぼって執権扱いにされたとか。
新体制に生まれ変わったことを示すかのように、将軍御所をこれまでの大蔵(おおくら。清泉小学校敷地)から宇都宮辻子(うつのみやずし。若宮大路の東側)へと移転します。
また、京都から迎えていた三寅(みとら。8歳)が元服、藤原頼経(よりつね)と改名。明けて嘉禄2年(1226年)の征夷大将軍宣下をもって、晴れて第4代「鎌倉殿」に。
この頼経は頼朝の妹である坊門姫(ぼうもんひめ)の孫に当たり、血統的には遠縁ながら源氏の一員と言えます。