この予習は必須!【鎌倉殿の13人】北条泰時の生涯と実績をたどる。御成敗式目だけじゃないぞ:後編 (4/5ページ)

Japaaan

仁治2年(1241年)、泰時は孫の北条経時(つねとき。亡き長男・時氏の子)と甥の北条実時(さねとき。弟・北条実泰の子)はじめ、評定衆らを招集。

自分の後継者に経時を指名し、実時はじめ評定衆らにその補佐を依頼しました。可愛い孫に自分と同じ苦労(後継者争い)をさせたくなかったのでしょう。

泰時の後継者として鎌倉幕府の第4代執権となった北条経時(画像:Wikipedia)

また朝廷内部にも鎌倉の勢力を食いこませるべく、四条天皇(しじょうてんのう。第87代)の崩御に際して御嵯峨天皇(ごさがてんのう。第88代)を奉戴。その外戚である土御門定通(つちみかど さだみち。泰時の妹婿)を通じて朝廷に影響力を及ぼします。

経時のために打てる手は打ち切った仁治3年(1242年)6月15日、泰時は還暦(60歳)でこの世を去ったのでした。執権職は経時によって継承され、鎌倉は新たな時代を迎えるのでした。

終わりに

以上、鎌倉幕府の第3代執権となった北条泰時の生涯を駆け足でたどってきました。

頼朝や義時以前は御家人・武士たちの権益を主張して朝廷や貴族、寺社などの旧勢力と対立していた鎌倉幕府。

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