都育ちはダテじゃない!『新古今和歌集』に載った源頼朝の和歌を紹介【鎌倉殿の13人】 (4/5ページ)
「いな陸奥の」は「否(いな)み」と「陸奥(みちのく)」が合わされ、陸奥と言えば住んでいるのは蝦夷(えぞ、えみし)の人々。
「えぞ」と平仮名にすることで「得ぞ~(~し得ぬ)」の意味がかかりました。
対する頼朝の返歌。陸奥の地名である岩出(いわで。岩手)と信夫(しのぶ。福島)を合わせて「言わで、忍ぶ(言わずに黙っている)」の意味をかけます。
そこへ「えぞ知らぬ」を加えて「言わないで黙っていては、私も知り得ようがありません」というメッセージに。
下の句はそのままですが、慈円の「壺のいしぶみ 書き尽くさねば」に対して、フレーズを逆転させた「書き尽くしてよ 壺の石ぶみ」と返してリズムをとっています。
この軽妙なやりとりから察するに、頼朝と慈円はかなり気が合ったのではないでしょうか。
(歌には言葉のセンスや好みなどが出るため、そのやりとりに互いの相性が分かることも多いもの。往時の貴族たちがよく和歌を詠んだのは、相手を見極める社交のテクニックだったのかも知れませんね)
終わりによく文章なら何とでも書ける、心にもないキレイゴトも言える……という方がいます。
しかし、いざ書こうとすると自分の意思に反することを書くのはとても負担が大きく、創作でもなければやはり自分の本心が現れてしまうものです。