呪術的な力と医療知識を併せ持った医師にして呪術師の看病禅師とは (2/3ページ)
同会は「道鏡は本当に悪僧だったのか」という疑問を原点に、道鏡の故郷である現在の八尾市の市民らが1980年に立ち上げた。ピーク時は約60人が活動したが、会員は高齢化し、解散前には5人に減っていた。(朝日新聞デジタル「道鏡顕彰、どう続ける?「知る会」解散で 西大寺」より抜粋)―
道鏡は悪僧だったのか。その真実の行方は興味深いが、道鏡が看病禅師のひとりとして称徳天皇(当時は孝謙上皇)の病を治癒し、そのことで女帝の信頼を得て傍らに侍るようになったことは事実である。女帝にとって道鏡は宮中で最も頼れる存在であり結果として道鏡の立場は高くなる一方であった。女帝は自分を救った道鏡の持つ呪術力に魅せられていたのかもしれない。
道鏡を巡る一連の騒動の後、看病禅師の呪術性が権力と結びつきやすいと危惧を抱いた桓武天皇(737〜806)は、奈良仏教と決別するため平安遷都を断行した。桓武帝は医療に関しては宮廷医に任せ、看病禅師は「護持僧」として国家繁栄を祈る鎮護国家を専門とさせた。とはいえ
最澄(767〜822)、空海(774〜835 )の伝えた平安仏教、密教がその後も加持祈祷による病気平癒などの呪術力が期待されることになる。平安の都では最澄の複雑で精緻な天台教学より、空海の呪術的な密教が好まれた。一方で最澄が開いた比叡山延暦寺は都の鬼門に位置し王都守護の役目を司った。朝廷は最澄にも呪術力を求めていた。
■在野の看病禅師
看病禅師は宮廷だけではない。修行を修めた後、官僧にならず市井に下り、遁世僧として庶民に寄り添った禅師たちもいた。仏教説話集「日本霊異記」には禅師が般若経や法華経などの経典を読誦して民の病を治す説話が多くある。説話とはいえこれらは実話に基づいたものなのかもしれない。古代における神仏への畏敬の念は、現代の私たちには想像できないほどだったと思われる。実際に禅師の超常的な力が無かったとは言わないが、民の神仏への信仰や、禅師の呪術的な力に対する信頼が自己治癒力を高めたことは十分考えられる。これに薬草などの知識が加われば説話に残る程の活躍ぶりも納得がいく。宮廷から庶民まで看病禅師の存在は得難いものだったに違いない。