江戸川を挟んだだけでこの違い 東京のすぐ隣に広大な農地が残り続ける理由とは (2/3ページ)

Jタウンネット

「伝承ではありますが、宝永の大洪水があった後、矢切の人々がそれまで住んでいた江戸川沿いの地域を出て、台地に移転したという話があります」(松戸市立博物館の職員)
米作中心から畑作へ

こうして、洪水の影響で「農村」だった場所には人が住まなくなり、ただの「農地」に。そして、明治時代に入ってからもさらなる変化があった。

「今でも水田は残っていますが、それまで米作中心だったのが、矢切ねぎの栽培など畑作を取り入れるようになったんです。人々が台地に移転したことで、農業が多角的になったのです」(松戸市立博物館の職員)

Googleストリートビューで見た農地の風景 (C)Google

それからまた時は過ぎ、昭和。松戸市は計画的な市街化を誘導するために「市街化区域」と「市街化調整区域」の2つに区分された。1970年のことだ。

「市街化区域」は既存の市街地、あるいは整備が進められて市街地になる予定の地域のこと。「市街化調整区域」には優良な農地が残っている地区、保全すべき山林がある地区が指定され、原則建物の建築ができない。下矢切から中矢切の農地は後者の「市街化調整区域」に分類された。

松戸市街づくり部都市計画課の職員はこう話す。

「地域の区分は駅の開業などで変わることもあるのですが、下矢切から中矢切にかけての農地は昭和45年に初めて区分されてからずっと市街化が難しい『市街化調整区域』のままです」

これも、農地が残っている1つの要因と言えるだろう。ただ、それだけではない。

「江戸川を挟んだだけでこの違い 東京のすぐ隣に広大な農地が残り続ける理由とは」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る