日本人ならやっぱりお米を!病弱だった将軍・徳川家光の乳母・春日局が考案した「七彩飯」とは (1/4ページ)

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日本人ならやっぱりお米を!病弱だった将軍・徳川家光の乳母・春日局が考案した「七彩飯」とは

「父や祖父とは違い、余は生まれながらにして将軍である。心して奉公せよ」

江戸幕府の第3代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)は、征夷大将軍の就任に際してこう言い放ったと言います。

徳川家光(画像:Wikipedia)

まるで将軍になるべくしてなったような威風堂々ぶりですが、その幼少時(幼名:竹千代)は病弱で食も細く、弟の国松(後の徳川忠長)に家督を奪われかねないほどだったとか。

このままではいけない。竹千代の乳母であった春日局(かすがのつぼね)は、その食生活から改善することにしたのでした。

さて、どんな工夫をしたのでしょうか。

ただお命を繋ぐものの第一は飯なり……とにかく米を食べて欲しい

「またですか……」

竹千代の食事が終わり、下げられた食膳を見て春日局は嘆息します。おかずはいくらか食べられているものの、ご飯にはほとんど箸をつけていません。

「昔から『ただお命を繋ぐものの第一は飯なり(ご飯こそ生命力の源である)』と言います。おかずをいくら食べたところで、ご飯が進まなければお身体は弱いまま。何とかしなければ……」

思案した春日局は、老中の松平伊豆守信綱(まつだいら いずのかみのぶつな)に命じて「七彩(なないろ。

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