「鎌倉殿の13人」頼家と御家人たちに早くも溝が…第27回放送「鎌倉殿と十三人」振り返り (7/9ページ)
悪運の強い文覚は佐渡へ流罪となったものの、建仁2年(1202年)に赦されて帰京します。
それでも懲りずに建仁3年(1203年)、今度は後鳥羽上皇に対する謀叛に加担。対馬へ流罪となる道中、九州で亡くなったということです。
大河ドラマではこれでフェイドアウトとなるのでしょうが、文覚はもうちょっとだけ生きるのでした。
山積みの政務、御家人同士のいさかい、女のバトルにうんざり鎌倉殿となった頼家は、最初こそ学問や蹴鞠に励んでいましたが、いざ溜まりに溜まった政務(特に訴訟問題)を前にうんざりしてしまいます。
「下らぬもめごとが多くて、うんざりします」
しかし当人たちにとっては大事なこと。昔から一所懸命(ひとところに命を懸ける)と言う通り、土地や権利こそが彼らの生命線でした。
だからしっかり耳を傾けるように諭す母・政子(演:小池栄子)は、すでに尼将軍となる貫禄を身に着けつつあるようです。
景時に侍所別当を取って代わられ不満な和田義盛。しかし頼朝にとっても、その方が都合がよかった模様。歌川貞秀筆
また侍所別当の座を巡って和田義盛と梶原景時が口論を起こし、寵愛する正室・つつじ(演:北香那。辻殿)の元へ逃げ込んでみれば、側室のせつ(演:山谷花純。若狭局)がやってきて女のバトルを繰り広げる始末。