平家が滅んだのが「壇ノ浦」なのはなぜ?他の場所ではダメだった?そこに至るまでの経緯をたどる (2/5ページ)
以仁王は才能に優れ人望もあったため、平氏政権から危険視され30歳近くになっても親王宣下を受けられず不遇をかこっていました。そして、安徳天皇の即位により皇位継承の望みも絶たれてしまい、平家一門に対して深く恨みを持つようになります。
叛逆の狼煙と平家の敗走
そんな以仁王の元に接近したのが摂津源氏の源頼政でした。以仁王は頼政を通じて諸国の源氏や有力寺院に対して平氏追討の令旨を下しますが、準備が整う前に計画が平家側に露見してしまいます。挙兵は失敗に終わり、源頼政は自害に追い込まれ、以仁王も命を落としてしまいます。
しかし、以仁王の令旨を受け関東では源頼朝が、北陸では木曽義仲が挙兵します。1180(治承4)年、頼朝は石橋山の戦いで平家軍の大庭景親と対戦しますが、兵力に劣る頼朝軍は敗北を喫します。