平家が滅んだのが「壇ノ浦」なのはなぜ?他の場所ではダメだった?そこに至るまでの経緯をたどる (5/5ページ)
『安徳天皇縁起絵図』第七巻「壇の浦合戦」、第八巻「安徳天皇御入水」(Wikipediaより)
追い詰められた平家にとっては、壇ノ浦の戦いは一族の存亡をかけた最後の戦いでした。しかし、頼朝の目的は関東の武士の自立であり、平家との戦いに勝利し降伏させることを考えていました。朝廷の中でも、安徳天皇と三種の神器の引き渡しによる平家との和平交渉を進める動きがあったのです。
しかし、義経が降伏の隙も与えぬまま一気に平家を攻め滅ぼしてしまったため、平家側が持ち出した三種の神器と安徳天皇を取り戻すことができず、頼朝は目的を果たすことができませんでした。
戦いの後、頼朝・義経兄弟の不和は決定的となりますが、梶原景時の讒言もさることながら、頼朝の意に反して平家を滅ぼしてしまった義経の独断横行が不和の原因の一つになったのではないかとも考えられるのです。
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