上品だけど胡散臭い…山中崇が演じる平賀朝雅の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】 (2/6ページ)
また頼朝の舅である北条時政(演:坂東彌十郎)の娘婿となったことで、朝雅は頼朝と義兄弟の関係に。
北条との縁が強くなる一方で、建仁2年(1202年)に母が亡くなると比企との縁は薄くなりました。建仁3年(1203年)9月に勃発した時政のクーデター「比企能員の変」では、北条義時(演:小栗旬)らと共に比企討伐の兵を出しています。
その後は鎌倉の政変に乗じて謀叛が起こることを防ぐため、京都守護職として上洛。京都と鎌倉の橋渡しとして、後鳥羽上皇(演:尾上松也)に接近しました。
元久元年(1204年)には、伊勢・伊賀国(現:三重県)で起きていた平家残党らの謀叛を4月10日から12日の3日間で鎮圧(三日平氏の乱)。その武功によって伊勢・伊賀両国の守護職に任じられます。
とまぁここまでは順調だったのですが、元久元年(1204年)11月4日に畠山六郎重保(はたけやま ろくろうしげやす)と口論を起こしてから雲行きが怪しくなっていくのでした。
畠山重保との口論故遠江左馬助僮僕等自京都歸着。去六日葬東山邊云々。又同四日。於武藏前司朝雅六角東洞院第。酒宴之間。亭主与畠山六郎有諍論之儀。然而會合之輩依宥之。無爲退散訖之由。今日風聞云々。
※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月20日条
【意訳】京都で病死した北条政範(まさのり。遠江左馬助、時政の子)の従者が鎌倉へ帰ってきた。遺体は11月6日に東山辺りへ埋葬したとのこと。また11月4日に酒宴の席で朝雅と畠山六郎が口論したとか。周囲のとりなしで事なきを得たとの噂を聞いた。