近代看護の母・ナイチンゲールのキリスト教への深い信仰心と神秘体験 (1/4ページ)

心に残る家族葬

近代看護の母・ナイチンゲールのキリスト教への深い信仰心と神秘体験

近代看護の母・ナイチンゲール。野戦病院での献身的な看護や、劣悪な環境を改善した行動力などから「クリミアの天使」と呼ばれ今なお尊敬の念を集めている。しかし彼女の思想・行動の背景には神への深い信仰と神秘体験があったことは知っておくべき事実である。

■ナイチンゲールと修道女たち

看護学校の「戴帽式」ではナイチンゲールの教えを基に作成された「ナイチンゲール誓詞」を唱和する。学生たちが手にするキャンドルの灯は、クリミア戦争の際にランプの灯を手に夜中の病院を巡回したというナイチンゲールの献身的な看護の精神を表している。

フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)は、イギリスの裕福な家庭で生まれ育った。19世紀のイギリスは格差社会であり、移住者が住み着いた地域は劣悪な環境で疫病が蔓延していた。しかし貧しい人たちは病院などは行けず待っているのは死のみであった。こうした人たちの救済運動に携わったのが、キリスト教の修道女たちである。カトリックの修道院や、プロテスタントの奉仕団は、貧困地域に赴き献身的な看護などに従事した。そうした社会運動に感銘を受けたナイチンゲールも看護の道を進むことを決意するが家族は強く反対した。中世の日本がそうであったように、病気を患った人たちは汚れた存在として忌避され、病人や怪我人の世話をする看護師などは賤しい仕事だとされていたのである。家族にも一理はある。現代のように医学が発達していない当時、不衛生な貧困地域の病人の看護などは危険極まりないことだった。だが、自分の健康や命そのものの危険を犯してまで見ず知らずの、病人の看護に向かう彼女たちには信仰の力があった。自身が敬虔なクリスチャンであるナイチンゲールは修道女たちの信仰の力に深く感じ入ったのである。

■クリミアの天使

ナイチンゲールは近代看護学の母と言われる。当時看護師は医師の召使いのような扱いを受けていた。ナイチンゲールは医療と同等の独立した分野としての看護学を確立したのである。彼女の名を知らしめたのが、ロシア軍と欧州同盟軍による、クリミア戦争(1854〜56)従軍時の「クリミアの天使」と呼ばれ、称賛されるほどの献身な看護活動である。野戦病院の負傷兵の死亡原因は劣悪な環境における不衛生がほとんどだった。

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