埼玉県熊谷市の宮塚古墳は国内でも非常に珍しい上円下方墳 (1/5ページ)

心に残る家族葬

埼玉県熊谷市の宮塚古墳は国内でも非常に珍しい上円下方墳

何故、世の中に「変わったもの」「珍しいもの」が存在するのか。それは当たり前のことだが、人々が生きる社会や時代の影響から「常識」「スタンダード」ととらえられ、大切にされてきたものが存在しているからこそ、その「枠」から外れたものが、「変わったもの」「珍しいもの」と認識されるのだ。それは「貴重」なものとして大切にされる場合もあるが、時には「異常」だとして、排撃されることもある。
また、「変わったもの」「めずらしいもの」は、たまたま結果的にそうなってしまったものと、人と違うこと、「常識」をくつがえす、または単に目立ちたい、誰かにおだてられてその気になって…などと、「狙って」やって、そのように人々から評されることになったものなど、さまざまだ。それは本来、「危ない」「怖い」ものや状況を表す博徒・ヤクザ言葉の「ヤバい」が、いつの間にか一般社会に広まって、本来の意味に加え、「信じられない!」という衝撃を表したり、果ては「カッコいい!」「凄い!」などの感嘆、賞賛の意味をも持つようになってしまったことと、似たような現象なのかもしれない。

■熊谷市の広瀬地区にある上円下方墳の宮塚古墳


今年の8月2日には最高気温41度と予想されるなど、「日本一暑い町」として有名な埼玉県熊谷市の中央部から若干西寄りの広瀬地区に、「お供え山(やま)」と呼ばれていたこともあったという「宮塚(みやづか)古墳」がある。「古墳」といっても、広い田園地帯と上越新幹線の高架があるところに、こんもりと木々が茂った一角があり、「よくある村の鎮守様かなあ」と通り過ぎてしまうような、小規模の古墳だ。だがこれは、日本国内でも例が少ない「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」、すなわち、壇状になった方形(四角形、または正方形)の上に、円形の墳丘が重ねられているもののことで、宮塚古墳の場合、過去の水田耕作によって、かなり形を変えられているということだが、上円部が直径10m、下方部が西辺24m、東辺17m、高さ4.15mと判明している。

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