埼玉県熊谷市の宮塚古墳は国内でも非常に珍しい上円下方墳 (3/5ページ)

心に残る家族葬



こうしたことから、この古墳がある「府中市」という場所は、奈良時代初頭に今日で言う「県庁」のような役割を担った「武蔵国司」(こくし/くにのつかさ)が置かれた重要な場所であったことを鑑みると、誰が埋葬されたのかは不明だが、恐らく、土地の有力者であったばかりでなく、歴代天皇並びに官人、そして天智天皇陵の造営そのもの、またはその工法をよく知る技術者たちとのつながりが深い人物だったと推察される。

府中市の武蔵府中熊野神社古墳から、熊谷市の宮塚古墳まで、およそ90km離れており、車で1時間ちょっとかかる。とはいえ熊谷市もかつては府中市と同じ武蔵国に属していたことから、古墳造営に関し、どちらが「先」か「後」かは不明であるが、何らかの人的交流・交通があった可能性は捨てきれない。

■作家の五木寛之の死を感じた実体験


「病気、災害、喪失の悲しみ、事故、自殺/生と死の恐れを鎮める48の問答集」が収められた『死の教科書』(2020年)という本がある。ある読者の、「コロナウィルスの感染が拡大しているのに平気で外出したり、記録的な大雨で川が氾濫しそうなのに避難しない人がいます。疾患や災害で自分が死ぬかもしれないのに、彼らはどうして適切な行動が取れないのでしょう?」という問いに対し、著者の五木寛之(1932〜)は、「自分の死の実感がないから、危機感をもてず、自分や人の命を守るための判断も行動もできないのではないでしょうか。とはいえ、現在進行形で紛争が起こっている海外の国々や、戦時中や敗戦後の時代ならともかく、表向きは平和で、身のまわりで差し迫った命の危険を感じることなく生活ができる現代の日本において、常日ごろから死の実感をもちながら暮らしていくのは容易ではありません」と答えた。次に、五木自身の体験を紹介している。まだ若い頃、五木が作家デビューして数年目の時、突然心臓が苦しくなり、呼吸ができなくなった。
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