埼玉県熊谷市の宮塚古墳は国内でも非常に珍しい上円下方墳 (4/5ページ)
その発作はすぐに治まったものの、その時の、「身動きのできない絶望感、自分がまるで見えない世界に滑りこんでいくような奇妙な感覚は、いまでも忘れられません」と述べている。その後も何度か五木は、「今度こそ自分は死ぬかも」と感じた瞬間はあったが、時が経過するうちに、その死の実感は薄らいでいったという。そのことから、死の実感が何ヶ月も、何年も持続するものだったとしたなら、過剰なストレス状態となり、人間は生きていけないのではないか。忘れてしまうことで、何もなかったかのように生き続けることができるのは、人間が先天的に備えている心理的メカニズムで、生命維持のために必要なことだと言っている。それに加えて、1981(昭和56)年に作家活動を休止し、仏教系大学である龍谷大学の聴講生となって仏教を学び、蓮如(1415〜1499)や親鸞(1173〜1263)、日本や海外の寺院に関する本も多く著した五木らしい感受性だと思われるが、「われわれは見るべきものを見ず、感じるべきものを感じないで、大きな欠落を抱えたまま、生き続けてしまっているのかもしれない」と締めくくっている。
■最後に
「宮塚古墳」も「武蔵府中熊野神社古墳」も、大昔に亡くなった人の「お墓」である。古墳の外側の「形状」や棺の形、そして副葬品の数々などを鑑みると、造立当時の人々が抱いていた「死」そのもの、そして死者を「祀る」ことへのこだわりが強く見えることは言うまでもない。五木が指摘するように、「死の実感」や「危機感」が持てない。または古過ぎて「お墓」の現実味を感じることができないため、我々は物珍しい、または貴重な「大昔の遺物」としてしか古墳を捉えていないが、それは、『死の教科書』の質問者が投げかけた「コロナウィルス」や氾濫した川など、人間の命をおびやかす、それゆえに「恐ろしい」疾患や災害に対して、自粛せず無防備に出歩いたり、避難しようとしない人々の態度と同じといえば同じかもしれない。しかし、古墳造営に関わった人々や、主人を失った家族からしてみれば、古墳は興味本位で近づいて眺め回すものではなく、聖なる場所、或いは、「穢れ」である「死」を封じ込めた、ある意味禁断の場所でもあったはずだ。
日本国内には、今回取り上げた上円下方墳のみならず、興味あふれる古墳がたくさんある。