菅原道真と平将門と崇徳院が日本三大怨霊と言われている理由 (1/2ページ)

心に残る家族葬

菅原道真と平将門と崇徳院が日本三大怨霊と言われている理由

怨霊とは、この世に怨みを持ったまま亡くなった人の霊である。それが生きている人に災いを与えるとして、古くから恐れられてきた。生きていても怨みが強いと霊魂が肉体を離れ、人に災いをもたらす場合もある。その場合は生霊と言われる。いずれにしても「怨みが強い」ということが言える。
日本三大怨霊とは菅原道真、平将門、崇徳院である。崇徳院ではなく、早良親王を挙げる人もいる。早良親王は「三大怨霊」よりももっと強い怨念を持った人として、三大怨霊のさらに上の大怨霊ともされる。

■日本三大怨霊の菅原道真

菅原道真は「天神様」としても知られ、各地に「〇〇天満宮」「〇〇天神」などの名がつく神社が多くある。学問の神様として有名で、受験生ならば一度は訪れるだろう。

菅原道真は平安時代の学者であり役人であったが、藤原時平らの陰謀による冤罪によって大宰府に流罪となり、そのまま京都に戻ることなく、大宰府で亡くなった。その後、京都では清涼殿に落雷、火災となり多くの死者が出たり、藤原氏や流罪を命じた天皇家で変死が重なったりしたため、菅原道真の怨霊によるものだとして、その霊を祀るために天暦元年(947)に北野天満宮が建立された。

菅原道真は天満大自在天神として神格化され、それが「天神」「天満」などの名前の由来になっている。


■日本三大怨霊の平将門

平将門は天皇の血を引く武士であったが、天慶2年(939)に起きた「平将門の乱」により自らを「新皇」と名乗り、朝敵とされた。そのため、朝廷によって首をはねられ、その首は京都の七条河原でさらされた。将門が討たれたのは常陸国であったため、体はそちらに埋葬されている。首だけが都でさらされたのである。さらし首になって三日後、自分の体のある関東に向かって首が飛んでいったというのが将門の首伝説である。その首が落ちた場所が、東京大手町にある将門塚である。

平将門の怨念は現代まで続き、何度も取り壊しや移転案が出て、工事も行われたことがあるが、そのたびに不審死や事故がおこるため、現在も同じ場所にある。

祀られたのは、将門塚の近くにある神田明神がその場所である。

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