二人は親子?それとも…源頼朝に仕えた雑色の鶴太郎・鶴次郎を紹介【鎌倉殿の13人】 (3/7ページ)
富士川で平家の大軍を迎え撃つ頼朝。その勝利に鶴太郎も後見した?歌川国芳筆
もちろん鶴太郎が文面を見る筈もなかったでしょうが、決戦に臨む頼朝の緊張した面持ちから使命の重要性を実感したはずです。
武衛被遣御書於泰經朝臣。是池大納言。同息男。可被還任本官事。并御一族源氏之中。範頼。廣綱。義信等可被聽一州國司事。内々可被計奏聞之趣也。大夫属入道書此御書。付雜色鶴太郎云々。
※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)5月21日条
少し月日は流れて元暦元年(1184年)5月21日。頼朝が京都にいる高階泰経(たかしな やすつね)に書状を送りました。
「……これを高階殿へ」
「へぇ」
書状には「平頼盛(たいらの よりもり。清盛の弟)とその子・平保盛(やすもり)の政界復帰と、源範頼(のりより。