二人は親子?それとも…源頼朝に仕えた雑色の鶴太郎・鶴次郎を紹介【鎌倉殿の13人】 (5/7ページ)
この時、何の用事で何を持って(あるいは手ぶらで)行ったのかは詳しく記されていないものの、鎌倉から京都へはだいたい10日間くらいで行けることが判ります。
同じ年の10月16日、頼朝は鶴次郎を使者として上洛させました。今回は京都にいる北条時定(ほうじょう ときさだ。北条時政の弟?従兄弟?)に「藤原範季(ふじわらの のりすえ。木工頭)が鎌倉に叛旗をひるがえした源義経(よしつね)に内通している」ことを伝えるのです。
「三日で行け!」
通常であれば10日ほどの距離を3日で行くよう急かしており、出発したのも丑の刻(午前2:00ごろ)と早朝通り越して深夜。よほどの重大事と考えていたことがわかります。
鶴次郎が実際に何日で着いたのかはともかく、京都で用事を済ませると現地に来ていた生沢五郎・御厩舎人宗重(みんまやのとねり むねしげ)らと合流して11月17日に帰って来ました。
「兵衛尉(ひょうゑのじょう。時定)殿からの書状です」
そこには生沢五郎らが献上した駿馬は無事に納められたこと、合わせて藤原範季は職を解かれたことが記されています。
奉納相撲にも出場とまぁこんな具合で頼朝の使い走りとして鎌倉と京都を往復することの多い鶴次郎ですが、他にはこんな出番もありました。
時は建久3年(1192年)8月14日。鶴岡八幡宮寺の放生会(ほうじょうえ)で奉納相撲が行われた時、鶴次郎は選手として出場しています。